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Alto Parana(alto=たかい)とは、Rio Parana(パラナ河)の上流をいいます。
亜国を流れるパラナ河の一番上流地域がミシオネス州なので、 ミシオネス州のパラナ河流域をアルトパラナといいます。 昔のパラナ河は今とは比較にならないほど重要な交通機関でした。 亜国の歴史、特にパラナ河流域の開発は、この大河があって成り立っています。 ここミシオネス州もパラナ河の岸辺から始まっているのです。 その頃(50年前)は、国道12号線の開設予定はあったものの、 極めて不完全なもので、主な交通機関はパラナ河の船舶だったのです。 このハルディン・アメリカもパラナの岸辺の町オアシスというところから始まっています。 国道12号線がイグアスまで通じたのは、まだついこの間と言っていいほど日が浅いのです。 その後、世の移り変わりから陸運が発達し、パラナ河にはYacyreta(ジャシレター:地名)に ダムが建設されて、パラナ河の交通機関としての役目は完全に閉鎖されました。 |
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アルトパラナ日本人会が発足したのは、国道12号線がようやく現れ始めた頃でした。
国道とは名ばかりの土の道で、曲がりくねったひどいもので、川には橋のないところもあって、水の中を通ったものです。 1940年(昭和15年)、故国日本では、皇紀2600年の盛大なお祭りがあって海外に住む邦人、 この辺りに住む日本人にも知らせがありました。 そのお祭りに協賛して祭典をあげようということになり、 日本人が初めて一同にまみえることになったのです。 当時、この辺りには、カンビートに数名、ナランヒートに数名、サン・イグナシオに数名、 ロレットに2家族、サンタ・アナに2家族のみでした。 ロレットに住む柏さん親子が先駆者で、当時すでに農園も完成されて 立派な家もあったことから、そこでやろうということになり、2月11日、 昔の紀元節の日に一同集って祭典をあげました。 そのときに、日本人会設立が話し合われて、翌年の正月に設立されました。 開催場所は、同じく柏さん宅で、年毎に順次持ち回りにしようということになり、 各コロニアを転々とまわって、毎年開かれました。 当時はラジオもテレビもない時代でしたから、 一年一回のこの催しが待ち遠しく、皆楽しみにしていました。 |
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このようなわけで、アルトパラナ日本人会の歴史は、
ハルディン・アメリカの町でなく、ここから50キロ離れたロレットという村の柏さんの家から始まったのです。
日本人会の地域も広くて、西はサンタ・アナから東はカンピート(ハルディン・アメリカの東端)まで 直線にしても60キロもの広い地域になるもので、交通はパラナ河の船舶でした。 そのため日本人会もパラナ河流域に住む日本人の会ということで、アルトパラナの名が付けられました。 |
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今ではハルディン・アメリカに住む人々だけになってしまい、
日本人会の名も「ハルディン・アメリカ日本人会」に変えようという声もありましたが、
昔のパラナ河の賑わいをしのび、その恩を忘れないため、
また邦人先輩への敬意を表すことからも、アルトパラナの名はなくさずおこうということで
現在に至っております。
パラナ河は巨大な河で数知れない大小の支流を合流させて悠揚と流れています。
アルトパラナ日本人会もこれにあやかり、会員という支流を集めて悠々と 永遠に流れていけるようにという願いが込められているのです。 |
●ハルディン・アメリカ移住史
●「アルトパラナ」の由来
●日系語
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